資料
請求

日本初の水素ハイブリッド電車で持続可能な社会の実現に挑む

2024.02.26

理学部 卒業生

久保田 康介

22.12.19-1601.jpg

久保田 康介
KUBOTA Kosuke
東日本旅客鉄道株式会社 環境技術研究所

2015年度 理学部物理学科卒業


私×学習院大学

多様性の中で磨かれた"個"

学生と先生方との距離が近く、丁寧に指導していただけることが学習院大学の魅力でした。また、ワンキャンパスなので、ほかの学部の学生と交流する機会も多く、視野が大きく広がりました。4年時には苦手だった英語を克服して、自信をつけてから社会に出たいと考え、語学留学に挑戦。未知の世界に飛び込んで、さまざまな人と交流し、多様性に触れた経験は、現在の仕事にもおおいに生かされています。

 持続可能な社会の実現に向けて世界的に環境意識が大きく高まっている昨今。日本政府は、2050年までにCO2の排出を実質ゼロにするカーボンニュートラルの実現を目標としており、政府、地方自治体、企業が脱炭素社会に向けた取り組みを加速させている。日々、多くの人や貨物を運ぶ交通インフラである鉄道も例外ではない。2015年度に本学理学部物理学科を卒業し、現在、東日本旅客鉄道株式会社(以下、JR東日本)の環境技術研究所に勤務する久保田康介さんは、再生可能エネルギーを利用した新たな車両の開発に携わり、鉄道におけるCO2の排出ゼロを目指している。

 「電気を利用して運行する鉄道は、他の交通機関に比べるとCO2排出量は低く抑えられています。しかし、地方路線では、ディーゼルエンジンを使った気動車と呼ばれる車両が運行されており、CO2を排出し続けています。そうした中で、JR東日本は『ゼロカーボン・チャレンジ 2050』を策定。2050年度のCO2排出量実質ゼロを目指して挑戦を開始しています。その取り組みの一環として、新たに開発されたのが『HYBARI(ひばり)』なのです」

 2018年から環境技術研究所で開発が進められ、2022年2月に報道公開された「HYBARI」は、水素を燃料とする燃料電池と蓄電池を併用する国内初のハイブリッド電車。水素タンクに充填された水素が燃料電池装置へ供給され、空気中の酸素と化学反応することで発電する。また、蓄電池には燃料電池装置で発電した電力やブレーキを作動させた時に発生する回生電力を充電し、動力として用いることが可能だ。走行時にCO2が発生しないため、地方路線の気動車と置き換えることでCO2排出量の削減につながると期待されている。

 車両の設計・製造の技術はJR東日本が担当。ハイブリッド駆動システムの技術は日立とJR東日本が共同で開発し、トヨタが燃料電池自動車MIRAIなどで培った技術を燃料電池装置に応用した。

 「私は2021年から水素タンクから燃料電池装置に水素を供給するシステムの開発に携わり、タンクを格納する機器箱の形状や水素の圧力や温度情報を記録するシステムなどの技術的な部分を協力企業とともに検討しました。複数の企業と多くの人々が関わるビッグプロジェクトだけに、関係各所との意思疎通や情報共有が重要になります。そのため、プレッシャーを感じることも多かったですが、他の企業の一流の技術者と1つの目標に向かって作業を進める過程はとても刺激的でした。入社7年目でこうした貴重な経験ができたことは私にとって大きな財産になっています」

 注目度の高いプロジェクトだっただけに、報道公開された際には多くの報道陣が取材に詰めかけた。「HYBARI」の魅力をメディアに存分に伝えるために、開発チームは入念に準備を進めたという。

 「報道公開の4ヶ月前から関係部署と調整を進めました。車両を配置する場所を数センチ単位で検討したり、燃料電池発電試験を行う際にミスのないよう仕様書を読み込むなど、徹底的に準備を行いました。私自身、開発担当の技術者としてメディアの取材に対応しましたが、当日の夜のニュースで公開の模様が流れた時には、安堵感に包まれると同時に、努力が報われたことに対して今まで味わったことのない大きな喜びを感じることができました」

 技術者として社会に貢献する先端技術の開発に取り組む久保田さんだが、その原点は大学で学んだ物理学にあった。幼少の頃から、なぜ寒い冬場の方が鏡が曇りやすいのかなど、身近な現象に疑問を持っていた久保田さんは、そうした現象を数式で説明できる物理学への関心を深めるようになり、学習院大学理学部物理学科への進学を決めた。

 「身の回りにある気体分子の挙動に興味を持ったことから、大学ではそれらが存在しない真空状態について研究を行いました。宇宙空間に近い真空を作り出すには、閉鎖された空間に存在する気体分子をポンプで排気する必要があります。その際、酸素や窒素、二酸化炭素といった空気中の気体分子が排気されていきますが、最後まで排気されずに残るのが水素です。
 水素分子は速度が速いため機械式の真空ポンプで排気しにくく、また水素原子は金属中に多量に溶け込んでおり、それが真空中に放出されます。クライオポンプは液体ヘリウム温度程度の低温面に水素を吸着させて排気するポンプです。その吸着現象を解明するために、金属表面に吸着した水素分子に電子を当ててイオン化して脱離させ、水素分子の吸着量を測定する方法を研究しました。

 この研究を発展させれば、より厳密な真空状態を作り出すことができ、製造工程で真空が必要な製品の質を高められる可能性があります。当時は今後の人生で研究がどのように役立つか想像もつきませんでしたが、偶然にも仕事で水素を扱うことになり、学びが直接的に生かされていることに不思議な縁を感じています」

 仕事で生かされているのは、知識だけではない。学生時代に培った学びに対する姿勢も社会人として生きていくうえで大切なものになっていると久保田さんは語る。

 「研究を始めたばかりの頃は、わからないことだらけでした。しかし、それをそのままにしておくわけにはいかないと思い、少しでもわからないことがあれば先生や先輩にすぐに質問することを習慣にしました。
 社会に出ると学生時代以上にわからないことがあります。また、次々に学ぶべき新しい知識や技術も出てきます。そうした時に、臆することなく上司や先輩社員に相談する姿勢が身についていたことで、仕事がスムーズに進んだ場面も多くありました」

 物理学を通して、宇宙にも関心を向けていた久保田さんは、大学時代に地学研究会に所属。天体観測などを行う天文班の班長を務めたことは今でも良い思い出になっているという。

 「特に記憶に残っているのは、2012年5月に起きた金環日食の観測会を開いた時のことです。普段は立ち入り禁止の校舎の屋上を会場として使用させてもらうため、資料を作って学生課に交渉したり、顧問の教授に立ち会いを依頼するなど、班長として忙しく立ち回ったのを覚えています。
 大変ではありましたが、しっかり説明すれば、大学側も理解を示して許可を与えてくれるなど、学生の想いを叶えてくれる風土があったことには感謝しています。観測会の当日、早朝から大勢のメンバーで空を見上げたことは大切な思い出です。その時の友人たちとは、卒業してからも一緒に天体観測に出かけるなど現在も交流が続いています」

 そんな学生時代を送った久保田さんが鉄道会社への就職を希望した理由は、実家がある横須賀から目白のキャンパスまで片道2時間かけて通学していた経験にあったという。

 「例えば、移動時間をもっと短縮したり、電車内をさらに快適な空間にするなど、自分自身が改善したいと思ったことを実現できれば、世の中がより便利になると考えたのです。そこで、大規模な鉄道インフラを有するJR東日本への入社を希望しました。現在は『HYBARI』の開発に携わっていますが、将来的には、鉄道の定時運行、安全運行を最大の使命としながらも、移動時間の短縮や快適な移動空間の創出に向けた業務にも取り組んでいきたいと考えています」

 現在、「HYBARI」は、JR南武線で走行試験を繰り返しており、2030年の実用化を目指している。しかし、それにはいくつもの超えるべきハードルがある。その1つが水素燃料という新たなエネルギーを取り巻く法整備の問題だ。現状、水素燃料は、高圧でタンクに保存されるため、高圧ガス保安法という法律に基づいて、近くに安全装置を設置したり、火元を遠ざけるなど、車両の設計に際してさまざまな制約を受けることになる。鉄道の場合は線路上の架線が火元と認定されるため、特別な配慮が必要だ。同時に、鉄道を運行するための鉄道事業法もクリアしなくてはならない。そのため、「HYBARI」を実用化するには、法改正も視野に入れなければならないという。だが、久保田さんは水素社会の実現に向けて、前を向いて進み続ける。

 「現在は、走行試験を行い、データを収集する日々が続いています。2030年の実用化というとまだ余裕がありそうに思えますが、法改正を考慮したり、車両の量産化や低コスト化を実現するとなど、やるべきことは多く残っています。少し前までは鉄道に水素燃料を使うなんて考えられないことでした。しかし、世界が一致団結してカーボンニュートラル実現を目指している今、状況は大きく変わりました。鉄道業界のみならず、社会全体が大きく変革する時期にあるのです。新しいことに挑戦するのは大変ではありますが、数十年後の電車の常識を変えるかもしれない業務に携われていることに大きなやりがいを感じています」

※所属・肩書等は取材当時のものです。