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日本語日本文学科|身近な言葉から見える歴史

2020.06.05

文学部 ゼミ紹介

安部 清哉 教授、日本語日本文学科3年

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STUDENT'S VOICE

身近な言葉から見える歴史

T.Mさん

東京都・学習院高等科 出身

私たちが日常的に使用する現代語に興味があり、安部清哉先生の日本語学演習を受講しました。この授業では、幕末・明治期の文学作品や教科書の中から、同時代に日本で生まれた漢語を選び、漢字一字(「語基」)に注目しながら、意味や用法がどのように変化したのか(「語史」)を調査しています。変化の要因は科学や法律など西洋概念の流入です。例えば「図書館」「博物館」の「館」は、元は屋敷等の私的建物の意でしたが、libraryやmuseumの訳語となり、「館」には「公共の」建物という西洋的な意が新たに加わりました。身近な漢字のたった一字から日本の近代化をたどれるのはとても興味深いです。普段でも「この言葉の語源は何だろう?」と考えることが増え、言葉との向き合い方も変わりました。

ABOUT SEMINAR

電気、電話、電報の「電」がもっていた、本来の意味

西洋の近代思想が日本に入り新しい漢語が広がった

「電」の意味は「electricity(=電気)」だと認識している人がほとんどかと思います。しかし、少し考えてみてください。「電」という漢字は、人間がelectricity(電気)を使い始めるずっと前から中国でも日本でも用いられてきたものです。もともと「電」は、稲妻や稲光など「雷の光」を意味していました。私たちが使っている漢語(漢字語)のかなりのものが、実は今から150年ほど前の幕末から明治期にかけて新しい意味を獲得してきたものなのです。

それではどのようにして「電」の意味は変わったのでしょうか? 「電気」という単語は、1851年に西洋人が中国で「electricity」を初めて「電気」と訳したのが始まりです。宣教師などが西洋科学の進歩を伝えるために作った翻訳語のひとつだったのです。その後「電気」が日本に入ってくると、日本人は「電」の字がもつ本来の意味は忘れていき、科学現象や工業製品に関する意味でだけ使うようになりました。そして「電車、電波、電線」など「電」にまつわる言葉をどんどん増やしていったのです。

中国の学生は元の意味と現在の意味を両方認知している人もいますが、日本の学生で元の稲光の意味を知っている人はほとんどいないでしょう。それほど、日本は急激に西洋の思想や概念などに染まり、新漢語が広がっていったということです。

"ことば"から近代日本文化の成り立ちを考える

本演習では、『日本国語大辞典』(小学館)や新聞や雑誌のデータベースなどから近代漢語の古い用例を集め、最初に使われたのがいつで誰がどういう意味で使ったのかなどを調査します。調べてみると、例えば、夏目漱石の『吾輩は猫である』では「現象」「寝室」など比較的新しい近代語が駆使されていることがわかります。

調査した新漢語の背後にある近代的思想・概念を考察し、近代的な日本人、日本文化がどのようにかたちづくられてきたかを考えることがこの演習の目的です。日本が外国の知識や文化を吸収しながら発展してきたことを理解し、海外から入ってくるものを排除するのではなく、グローバルな視野から受け入れようとする柔軟性を、過去の日本語を通して学んでほしいと思います。

安部 清哉 教授

東北大学大学院文学研究科博士課程後期3年の所要単位取得中途退学、東北大学助手、フェリス女学院大学助教授、同教授を経て2001年より現職。専門分野:日本語学、方言学。

※所属・肩書等は取材当時のものです。